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「忽那諸島」旅 その7(野忽那島) シーサイド留学の名残と元自衛官のおじさん

平成最後のゴールデンウィークが終わりましたね。期間中は日帰りで城ヶ島に行ってきました。どうも、いづやん(@izuyan)です。

忽那諸島旅の第七回をお送りします。人の姿も見かけない野忽那島の集落を歩きます。


シーサイド留学の小学校

集落を歩いていると、小学校の校門に辿り着きました。校庭と校舎を見る限り使われている様子はありません。

野忽那小学校はかつてはシーサイド留学制度がある学校として注目されていたようですが、校庭には雑草が伸びているばかりです。

学校は、2010年(平成20年)に休校となり今に至ります。帰ってから調べてみると、学校のサイトがまだ残っていました。

そこには生徒数が少ないながらも生き生きとした学校の日常が残されていました。

昭和63年に開始されたシーサイド留学は20年ほども続き、日本各地から子どもを受け入れて第二の故郷となっていったようです。

どこかの島で聞いた「子どもがいなくなって学校が閉鎖されると、その島はあっという間に活気を失う」という言葉の重さは、島に住んでいない人間には想像するよりほかないのですが、人通りのない集落やすでに営業してない商店を見るとその一端が垣間見える気がします。

シーサイド留学はなんとかして学校を存続させようという試みであったことは明白ですが、野忽那島出身の子どもがいなくなったであろう今はその仕組みを使うこともできないのでしょう。


島四国ボーナスステージ

小学校の入り口のそばには、やたらと仏様が並べられている場所がありました。

島四国の仏様なのですが一箇所に並べすぎていて、参拝の意味が薄くなっているのでは・・・と思い変な笑いが出そうになりました。

なんのために一箇所に集めたのか。聞きたくてもやはり近くに島の人の姿はありません。

小学校の裏手には宇佐八幡神社がありました。鳥居をくぐって進むと、イチイかなにかの木がお互いしながれかかるように門を作っている社に出ました。

社は綺麗にされていました。手を合わせて旅の無事をお願いします。


元海上自衛官の島のおじさん

港に戻り、さらに写真を撮りつつ歩き回ります。ここでようやく港で釣りをする人の姿を見かけました。

釣り人と島の海の景色を写真に収めるも次の船の時間まではまだ時間がありました。島に着いてから休憩らしい休憩を取っていないこともあり、船の待合室で一息入れることにしました。

西日が室内に差し込み、静かな時間が過ぎていきます。島に着いた時には点いていたテレビも誰かが消したのか、今は何も映っていません。

しばらく待合室でぼんやりしていたら、おじさんが入ってきて声をかけられました。

「観光の人?」

そうだと答えると、そのおじさんは野忽那島出身でと前置きし、島を出てからは海上自衛官として色々な基地を渡り歩き、定年後に島に戻ってきたことを話してくれました。

「行きの船で島の人じゃないお兄さんが乗ってくるのが見えて」

と言っていたので、気になってわざわざ次の船の時間を見越して来て話しかけてくれたのかと思い、少し嬉しくなりました。

自衛官時代の話しを聞いているうちに次の船が来てしまい、あまり突っ込んだ話しができなかったのが本当に残念でした。集落を歩いても人に会わなかったので、聞きたいことが色々あったのです。

それでも「なんもない!」と言われた島でほんの一瞬だけでも島の人と会話ができたのは、野忽那島という名前を僕の心に刻むに十分でした。

やってきたフェリーに別れを惜しむ間もなく乗り込み、野忽那島を後にしたのでした。(続きます)

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