「久高島・津堅島」旅 その3(久高島) ウミヘビのそばを食べて、集落を散策する
関東はすっかり冬の様相です。どうも、いづやん(@izuyan)です。
2014年の久高島・津堅島旅の第三回をお送りします。島への船にぎりぎり間に合って、ひとまずは無事上陸を果たしました。
久高島ではウミヘビが当たり前に食べられる
島に着いて自転車をまず借りて、向かう先は本日の宿「小やどSAWA(さわ)」さん。
素泊まりの宿で、女将さんに挨拶をして荷物だけ置かせてもらい、すぐにまた出かけます。ちょうどお昼時、まだ何も食べていないのを思い出したのです。
港近くまで戻り、坂を上がったところにある「パーラーさばに」にとりあえず入ってみます。入り口は大きく開け放たれているので、なんとなく海の家っぽさがあります。
奥の座敷に上がり、適当なテーブルに座って、無事久高島に上陸できたので、まずはオリオンの生ビールで乾杯。周りを眺めると壁にはずらっとメニューが貼られています。色々な種類の沖縄そばやあぐー丼定食など、いかにもなメニューが並んでいますが、一際目を引くのが「イラブーそば」。
テーブルの置かれたメニューには「沖縄ではエラブウミヘビのことをイラブーと呼ぶ」と書かれています。イラブーとは、つまりウミヘビのことだったんですね。
「え、ウミヘビ食べられるの? これは注文するしか・・・」
イラブーは、琉球王国の聖地にして神の島・久高島で、王都への献上品として珍重されてきたそうです。さらにイラブー漁と燻製作業は、島の最高神職者ノロにだけ許された神聖な行為だそう。
そんなイラブーから作った汁をいただくと、半年は無病息災でいられる、ともメニューに書かれていました。
そんな貴重なものが食べられるのなら、と迷わず注文。
出てきたものは、沖縄そばに燻製されたイラブーの身が載ったもの。
イラブーの身はやや硬いものの、燻製の香りがして滋味あふれる味わいでした。
食後は集落を散策
イラブーそばで半年の無病息災を約束されたあとは、集落を散策。
空は今にも降りそうな予感をさせていますが、時間の限られた島滞在、歩けるところは歩きたい。
特にここと決めずに気の向くままに道を行きます。
港では結構観光客を見かけましたが、今は静か。雨が降りそうだからか、島の人も歩いていません。
久高島小中学校がありました。綺麗で結構立派な建物。
石畳が敷かれた道を行きます。
一番古い家、大里家(うぶらとぅ)
久高島は琉球開闢の祖アマミキヨが天から降り、ここから国造りを始めたという聖地。
島全体に神聖な場所が点在しているということですが、一見さんには分からずスルーしてしまう場所もあります。
そして、何人たりとも立ち入ることが禁じられている場所もいくつかあります。
それでも、集落にはそれと分かる場所がいくつもあります。
集落内にある大里家(うぷらとぅ)は、島の旧家の一つで一番古い家とも言われています。かつてこの家に住んでいた男女が久高島に流れ着いた壺を拾い、そこから五穀が沖縄中に広がっていったという言い伝えが残されています。
また、この家に生まれた女性との交流が元で、地位を追われ命を落とした第一尚氏最後の王、尚徳王の話も伝わっているそうです。現在は、御嶽として整備されています。
母屋の隣の拝所は扉が開けられていました。位牌や火ぬ神が祀られているのが見えます。
集落には他に、上の拝所によく似た白い建物で「イチャリ小(グヮー)」という家もあります。始祖家の一つと言われ、アマミキヨが仮住まいしたと伝えられる家。島を創った棒(シマグシナー)を代々祀っているそうです。
御殿庭(うどぅんみゃー)
さらに集落の中を歩くと、開けた場所に出ました。ここは「御殿庭(うどぅんみゃー)」。
かつて12年ごとの午年に行われてきた「イザイホー」や、主要な祭祀もここで執り行われる神聖な場所です。
一番左がタルガナーと呼ばれる、先ほど食べたイラブーの燻製小屋、中央が神アシャギ、右がシラタル宮。
背後の森は、イザイヤマと呼ばれる聖域で立ち入り禁止だそうです。
連休中とは言え、今にも降ってきそうな11月。うどぅんみゃーには誰もいませんでした。
先ほど食べたイラブー(ウミヘビ)の捕獲と燻製は、神聖な作業として限られた人のみが行っているそうです。いつかその目で作業を見てみたいものです。
今は、その扉は閉ざされ、燻蒸の香りが漂ってくることもありませんでした。(続きます)
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