「忽那諸島」旅 その11(中島) 農音の木室さんにばったり会う
行きたい島、書きたい島がたくさんあります。どうも、いづやん(@izuyan)です。
忽那諸島旅の第十一回です。ちょっとだけ長いかもしれません。
農音の木室さんとばったり
二日酔いはまだ抜けず、自転車を借りた大浦港で停泊中のフェリーをぼんやり遠目に眺めていると、見覚えのある人が向こうから歩いてくるのが見えました。
1ヶ月ほど前、池袋のサンシャインシティで開催された離島の祭典「アイランダー」の忽那諸島ブースにいた木室陽一さん(ようさん)でした。
「え、なんでいるんですか!?」
「忽那諸島ブースでお話させてもらってる時から行こうかなって思ってたんですよ」
「じゃあせっかくなので、うちでお茶でもしていきます?」
とトントン拍子に話が進み、ようさんのおうちにお邪魔することに。
港からほど近い場所にようさんの家はありました。
中にお邪魔すると、僕より年上と思われる女性が一人いてご家族かなと思ってるとどうも違う。
お茶を出してもらいつつ、しばらくすると今度は小学生くらいの男の子が部屋に入ってきたので息子さんかと思ったら、これも違うようで近所に住んでいる小学生。
「島には鍵をかける文化がないので、こうやって近所の小学生がよく遊びに来るんですよ」
ようさんが笑いながら言うと、同居の女性とその小学生の子はなにやらキッチンで盛り上がって、お昼を一緒に作ることにしたようでした。
「震災があって色々考えていた時に、ここ中島で活動しているNPO法人『農音』の知り合いができて、島に来てみたらとてもよかった。ミカンを作って生活するということもなんだかピンときて、すぐに移住を決めたんです」
ミカンをはじめ、今はメインでレモンを作っているのだそう。
NPO法人農音は、首都圏で活動していたバンドマンたちが中心となって発足した「音楽と農業で地域を結ぶNPO」とのことで、その名の通り、移住してきたメンバーが中島で柑橘栽培をし、それを販売する傍ら音楽活動を行ったり、中島への移住促進活動を行っているという団体です。
ようさんはその農音のメンバーとして島でレモンを作ったり、得意とする創作ダンスを披露したり、島で人が集まれる場を作ろうとしているそうです。
最近では先に松山でシェアカフェバーを作り、毎週水曜日の夜に営業しているそうです。しかも基本は料理や飲物にお金をいただいていなくて、したい人がカンパをするという形だとか。(現在は形態を変えて、不定期に開催中)
「都会と違ってここはあんまりモノを持たないでも暮らしていけます」
近所の人が勝手に上がって野菜を置いていってくれるようなおすそ分けの文化もあるし、自分もそういう気持ちに自然となっていくこと、土をいじっているとPCも触る気がしなくなってある意味心地良いい、と語る姿には気負いは一切感じられませんでした。
そんな話を聞いているうちに、お昼が出来上がりました。お手製の餃子と炊き込みご飯。
近所の小学生とお昼を作ってくれた女性は矢嶋弘子さんで、通称ぴよさん。思うところあって車中泊を繰り返し全国を回っていて、たまたまたどり着いた中島が気に入り、ようさんのところに居候させてもらっているそうです。
「島に人が増えてほしいと思うし、来たいという人がいればうちに居候してもらってもかまわないですよ。実際ぴよさんはそんな感じで居候してもらってますし」とようさん。
この記事を書くのに久しぶりに連絡を取ったところ、ぴよさんはすっかり中島が気に入り、住人として根を下ろしているそうです。
みんなで餃子をつまみながら、食後のデザートに農音で作った伊予柑、温州みかんとほおばります。柑橘の島で出されるミカン、やはり美味しい。
最後に、カットされた皮の薄い、でもいかにも瑞々しそうなミカンが出されました。
「紅まどんなです、美味しいですよ」
これが昨日も話に出た愛媛が誇るブランドミカンか、と期待を込めながら口に運ぶと、伊予柑、温州みかんとは別次元の甘さが口に広がります。ゼリーかと思うほどのぷるぷるした食感に濃い甘さ。これはうまい!
ようさんの車で島を一周
紅まどんなをいただいてその美味しさに打ち震えていると、ようさんから提案されました。
「車で島を一周しませんか、僕は運転できないですけどね」
「えっ」
「車はうちの前に停まってて使えるんですけど、肝心の僕が車が運転できないので、使いたい人に運転してもらってます。ある意味カーシェアリング(笑)」
やっぱり色々面白い方だなあと心が暖かくなりました。結局僕が車を運転して中島を一周することに。
「島にはレンタカーやレンタルスクーターがないんですよ」
そういえば調べても確かになかったです。島内の移動はバスか港で借りられる自転車のみ。
「島にはカフェもないので人が集まれる場所も作りたいんです」
そう、一番大きなここ大浦地区でもカフェのような、島の人も外から来た人も気軽に入れる場所がないなあと感じていました。ぜひ作って欲しい。
大浦地区から時計回りに、南の姫ヶ浜、神浦、とまわっていきます。
「中島ではトライアスロン大会が毎年行われているんですよ、結構大きな大会です」
途中小学校と思しき建物を見かけました。
「島にいくつもあった学校も今では統合されて一つだけになってしまっています、寂しいことですが」
そんな島の「今」を聞きながら、左手に海を見ながら進んでいきます。
西中の港の少し手前で、写真を撮るにはよさげな場所があったので車から降りて、潮風に当たります。そばでは地元の子供が岸壁から釣りをしている最中。
「いいところですね」と自然と言葉もこぼれます。ようさんの語る横顔も島への思いが溢れています。昨日の柑匠の集の方々もそうでしたが、こういう人たちのいるところで暮らしたい。素直にそう思います。
名残惜しいが、中島を離れる時間
もっといろんな話を聞いていたかったのですが、島を離れる時間が迫っていたので、島の真ん中を抜ける道路を走り大浦に戻り、ようさんとぴよさんにお礼を言って別れました。
ターミナルで自転車を返し、本当に申し訳ないと思いながら「柑匠の集」の忽那さんに連絡をして、怒和島に渡る船の出る西中港まで送っていただきました。朝別れるときに港まで送るとおっしゃってくださっていたのでそれに甘えることにしたのです。
島に着いてから時間にして1日も経っていないのに、もうこの島のことが好きになっている自分がいました。島が好きになることは、やはり島の人を好きになると同義なのでしょう。(続きます)
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