「五島列島」旅 その17(中通島) 小瀬良教会、江袋教会、赤波江教会へ
もう少し早く来ていれば見られたものもあったのにと、旅をしていて思うこともあります。どうも、いづやん(@izuyan)です。
五島列島旅の第十七回をお送りします。中通島の北へ伸びる半島を北上しながら点在する教会を巡ります。
小瀬良教会
次にたどり着いたのは「小瀬良教会(こぜらきょうかい)」。石垣が積まれた山城のような土台に建っているのは、赤い屋根も可愛らしいこぢんまりした教会堂です。創建は昭和25年(1950年)なので比較的新しいですね。
小径を上ると、石垣とその上に建つ教会が見えてきます。絵になる場所です。
この教会が建てられるまでは、都会に転出した方の家を購入して仮の教会として利用していたそうです。
教会内部は折り上げ式天井で、素朴で飾り気のない雰囲気ですがとても落ち着きます。内部は写真撮影NGなのが惜しいところです。
小瀬良教会からも海が一望できます。教会を巡っていて思ったのですが、各地区の一番よい場所に建てられているような印象を受けますね。
土台の石垣脇の道からの眺めもよかった。時間が許せばここに座ってしばらく海を眺めていたい、そんな場所でした。
江袋教会
少し幅の広い道路に出て数分。山の斜面を拓いた集落が見えてきます。道路は集落の上を通っているので見渡すことができます。十字架が架けられた鐘楼も見えます。
道路脇に看板が出ているのでそこから路地を下って少し歩くと「江袋教会(えぶくろきょうかい)」です。
木造で瓦葺きの建屋です。正面から見ると台形で特徴的。二階部分の窓の配置も印象的です。
そばの説明看板には「実際にミサが行われている教会では、国内で最古の木造建築教会」と書かれていて唸ったのですが、旅から帰ってきて調べてみると1882年(明治15年)に建てられた教会堂は、2007年に漏電が原因とみられる火災で焼失してしまっているそうです。
僕が見ているのは、焼け残った一部の建材をそのまま利用して、元の位置に同じ姿で2010年に復元された姿です。
もし焼け落ちずに残っていたら、実に130年以上建っていたことになります。これは奈留島の江上天主堂の96年(2015年当時)よりもずっと古いわけです。本当に惜しいですね。その時の教会堂を見てみたかった。
そうは言っても、今目の前にある教会堂も風情がありました。中は外からは想像できない格調を感じます。
教会入口に建てられている石の十字架は年月相応の風化具合を見せていました。
赤波江教会
中通島の北へ続くこの細い道は、天気のいいゴールデンウィークの最中だというのに、同じ教会巡りですれ違う人はまばらです。教会に着いても1組いるかどうか。長崎の教会群が世界遺産登録されたあとだと変わるのでしょうか。
お次は「赤波江教会(あかばえきょうかい)」。北へ続く主要な道を途中で細い道に折れ、山道に入ります。
ここ「赤波江教会」も海を望む山腹に建っています。明治期も現在も、戸数の少ない教会だそうですが、それでも今も続いていることにやはりそこはかとない畏敬の念を覚えます。ここはかなりの斜面です。なぜここを選んだのかが気になります。
赤波江教会を後にして、次の仲知教会を目指す道すがら、山腹に建つその姿が見えました。そしてこんな場所でも路線バスが走っていて驚きました。
今でこそ舗装された道路があり簡単に行ける場所ですが、しっかりした道もなく車もない時代にここで信仰を守ってきた、あるいはここで守らざるを得なかったことを考えると、単に「教会っていいなあ」だけでは済ませてはいけない気持ちが頭をもたげてきます(続きます)
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