「五島列島」旅 その26(野崎島) 旧野首教会は人が去った島を見下ろし続ける
気がつけばゴールデンウィークまであと2週間もありません。旅先は決まっていますか? どうも、いづやん(@izuyan)です。
五島列島旅の第二十六回をお送りします。無人島となった野崎島に渡って廃村を逍遥し、墓地跡に無常さを感じてから、ここに来た一番の目的地へ足を向けます。
島の中央部、野首集落跡へ
墓地跡から再度廃村である野崎集落を抜け、野崎港まで戻ります。港から西に伸びる道を進むと、やがて上り坂になり、野首(のくび)集落のあった場所に入ります。
振り返ると、野崎集落跡とサバンナが一望できました。
野首集落へ続く崖上の道からは海が一望できます。五島はどこも海が綺麗でしたが、ここでも青さが際立っていました。
世界遺産候補だった旧野首教会
途中、宿泊所のような廃屋や立派な門柱に寄り道し、眼下に広がる青い海に目を奪われながら歩くこと20分ほど。それは見えてきました。
すり鉢状になった盆地を見下ろす丘の上に今も堂々と建っているのが「旧野首教会(きゅうのくびきょうかい)」です。
旅が始まる前からこの教会のことは知っていて、いつか見てみたいと思っていたのですが、それが目の前にあります。
「人が去った島に、今も残り続ける教会」。そのフレーズを聞いただけで「必ず見てみたい」と思い、この地までやってきました。
それにしても、なんと印象的な場所でしょうか。あちこちに石垣が見えますが、これは段々畑の名残だそうです。往時には畑の他に家屋もいくつも建っていたといいます。
今はただ緑の原が教会を取り囲んでいるのみです。
目を手前に向けると、閉校になった小中学校を再利用してできた「野崎島自然学塾村」があります。木造の校舎がこの風景に馴染んでいました。
自然学塾の元校庭を含む敷地もシカ除けの柵が張り巡らされています。施錠されている戸を開けて敷地内に入り、校庭を横切って「旧野首教会」に向かいます。
この教会もやはり、この集落跡を見下ろす一番よい場所に建っています。集落で暮らす人達が顔を上げれば教会が目に入り、心の拠り所として常にその姿があったことでしょう。丘に刻まれた道を登るとレンガ積み、瓦葺きの教会の全容が見えてきます。
教会のところまで登り、振り返ると海まで見ることができます。先ほど通ってきた野崎集落跡の木造の家屋はその多くが朽ちるに任せていましたが、やはりレンガ積みの教会は往時の姿を留めていました。
正面横に設置された鐘。かつてミサの時間を知らせたそれは、今は鳴らす者もいません。
この「旧野首教会」は、長崎県指定有形文化財の他に、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産の一つして世界文化遺産登録の正式推薦候補でしたが、つい先日の2016年2月に推薦内容に不備があるとユネスコの諮問機関から指摘を受け、政府が推薦を取り下げて構成資産の再検討に入ることとなったのは記憶に新しいです。この姿を目の当たりにした人間からすると、その知らせは残念という他ありませんでした。
禁教の歴史と信仰の自由の証としての旧野首教会
ここ野首地区の信仰は、1800年頃にこの地区に移住した隠れキリシタンの家族から始まり、明治期を経て1971年(昭和46年)に地区の信徒が島を去るまで続いていました。
しばらくは木造教会が使用されていたそうですが、17世帯の信者たちが費用を工面、かの鉄川与助の設計施工で、1908年(明治41年)に完成したのがこの「野首教会」です。鉄川与助が手がけた初めてのレンガ造りの教会です。
禁教の時代の弾圧を生き抜き、晴れて信仰の自由を得た信徒がその心の拠り所とすべく、莫大な費用を捻出し、工事を手伝うこともして、その結晶としての姿、それが今目の前にあるのです。自分が今感じている気持ちはその数十分の一、数百分の一かもしれませんが、この誇らしげな姿には感慨を覚えずにいられません。
中に入ると、おぢかアイランドツーリズムのガイドさんがいました。ふと思いついて聞いてみます。
「もしかして、『旧』野首教会と名前がついてるということは、中の撮影が可能だったりしますか?」
「その通りです。ここはすでに教会登録を抹消されているので、撮影してもかまいませんよ」とのこと。この旅で初めて、教会の中を撮影することができます!(五島の教会は基本的に建物内の撮影はNGなのです)
並べられた質素なベンチ、正面奥には祭壇。それらを覆う「リブ・ヴォールト天井」。五島の教会を巡るうちにすっかり見慣れた構造です。
窓にはめられたステンドグラスもしっかり残っています。派手さはないものの、大きくて目立ちます。外の日が透過して、教会内に色とりどりの光が落ちています。
入り口ドアの上のステンドグラスも美しいです。
ガイドさんもいつの間にかいなくなり、他のお客さんもいない空間で、一人写真を撮り続け、それが終わるとしばらくベンチに座ってこの静寂に身を置くことにしました。
わずか3、40年前まではここで日々祈りが捧げられていたのです。決して楽ではない島の暮らしで、何を祈ってきたのでしょう。やっとの思いで建てたこの教会を残して島を去った人々の胸中は、ただの旅人である僕には想像することすら難しいと感じていました。(続きます)
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