おすすめの島旅と島情報サイト ISLAND TRIP(アイランドトリップ)

東京湾の元・要塞島「第二海堡」の上陸ツアーに参加してきた

すっかりブログの更新が止まってました。どうも、いづやん(@izuyan)です。

伊豆諸島に行く「さるびあ丸」や「橘丸」に乗っていると、島からの帰りで東京湾の富津岬の近くに見かける、変わった島があります。

灯台が立っていたり、護岸がわりとしっかりしていたり、でも人の気配があるかと言えばそうでもない。謎の島。

その島は、その名を「第二海堡(だいにかいほう)」と言います。

東京湾に浮かぶ人工島にして元要塞。一般の人の上陸は2005年以降禁止されており、遠目にいつも「行ってみたいなあ」と思っていました。

近年だと「鉄腕DASH」のスペシャル版でTOKIOが上陸してましたね。あれはコーフンしたなあ。

この海堡と呼ばれる人工島は、首都防衛の拠点として明治から大正時代にかけて東京湾の入り口に作られたもの。富津岬に近い方から、第一海堡、第二海堡、そして、横須賀の観音崎に近いところに第三海堡が建設されました。

関東大震災での被災や、第二次大戦時の要塞化、敗戦後の施設の爆破処理などを経て、現在は海上災害防止センターの消防演習場として利用されています。

戦後から2005年までは釣り人がよく渡航していたそうですが、現在は上記の消防演習以外の立ち入りが禁止されています。

国土地理院の地理院地図では、2007年ごろの航空写真が見られます。島の岸壁が今より崩れて波が洗っているのがわかります。


「あの第二海堡での上陸ツアーが計画されている」

そう聞いたのは、今年の夏前だったでしょうか。少し未来の話かと思って聞き流していました。

しかし、歴史遺産として活用を進めようという国土交通省や官公庁の取り組みのもと、2019年からの上陸ツアー開始がアナウンスされました。最近ではあの軍艦島人気にあやかりたいのか、「東の軍艦島」なんて呼び方もされているそうですね。

その計画の可否を占うトライアルツアーを、いくつかの旅行会社がこの9〜11月の間に実施することになったのです。

上陸ツアーを催行する予定の旅行会社は、JTB、クラブツーリズム、サンケイツアーズ、はとバス、トライアングル、の5社で、各社出発地が異なっています。三笠桟橋に直接集合や、横須賀中央駅集合、新宿駅発バス、東京駅発バス、などなど。

また、第二海堡上陸前後に寄る場所やランチなどでも、各社が特徴を出そうとしているようでした。

トライアルツアーはどこも結構早く埋まってしまったのですが、運良く「はとバス」が開催するツアーに申し込むことができました。

「こっそり上陸するしかない」と良からぬことを考えていた「第二海堡」に大手を振って上陸し、内側の様子をレポートします!


はとバスツアーは、もちろん東京駅から

僕が申し込んだはとバスの第二海堡上陸ツアーは、東京駅集合。丸の内南口すぐのはとバスターミナルからバスに乗り、横須賀は三笠桟橋まで移動します。

ツアー代金はお一人様13800円。往復のバス代、ホテルでの昼食、三笠桟橋の記念艦三笠見学、そして第二海堡上陸、が含まれています。

この日は僕らを含む総勢42人が、まだ見ぬ謎の島に上陸せんとツアーに参加。もちろん満席のバスは9時に東京駅を出発し、一路横須賀は三笠桟橋を目指します。

途中、はとバスの添乗員さんのガイド付きで東京の湾岸地域の風景を眺めながらの移動でした。


上陸にはまず誓約書にサイン、写真撮影はOK!

バスの席には、第二海堡の上陸者用の「誓約書」とツアー参加後のアンケート用紙が置かれていました。移動中に誓約書にサインして添乗員さんに渡す必要があります。

第二海堡での禁止行為が列記されていました。

立入禁止区域への立ち入り
施設及び自然環境を汚す
第二海堡内のモノの持ち出し
消防演習場内の撮影
飲酒・喫煙
水分補給以外の飲食

などなど。

それ以外に、第二海堡にはトイレはないこと、安全のため日傘の使用は禁止、などが添乗員さんから告げられます。このあたり、長崎の軍艦島上陸ツアーと同じですね。もしかして参考にしたのでしょうか。

僕より先に第二海堡上陸ツアーに参加した友人から「第二海堡内の写真をSNSにアップするのは禁止と言われた」という悲しい知らせを聞いていたのですが、誓約書には「消防演習場内の撮影禁止」と書かれているだけで、「第二海堡の写真撮影、ネットへのアップ禁止」とはどこにも書かれていませんでした。

添乗員さんにその旨確認してみると、アップはOK。さらには、上陸中のガイドを請け負っている(株)トライアングルのガイドさんも「SNSなどにアップしてどんどん宣伝してください!」とのことでした。

もしかしたら、プレスリリースなどニュースでの告知が行われるまではSNSにアップしないで、ということだったのかもしれません。僕がツアーに参加する前あたりから、ネットで上陸ツアーに関するネットのニュースが頻繁に出始めていましたので。


上陸ツアーの船は、三笠桟橋から乗船

バスは1時間ほどすると、横須賀の三笠桟橋の近くに停車。そこでバスを降り、猿島への船が出る三笠桟橋の入り口に一旦集まった後、30分後の10時50分に出発と告げられます。この空き時間にトイレなどを済ませます。

時間前に戻ると、猿島行きの船に並ぶのとは別に列が作られていて、「第二海堡上陸見学クルーズ」と銘打たれたパンフレットが参加者に手渡されます。

10時50分になると、猿島行きの船とほぼ同じサイズの「シーフレンドゼロ」に乗船し、一路第二海堡に向けて出発です。

別会社のトライアルツアーでは、途中で猿島に寄るプランもあったようですが、はとバスのツアーでは第二海堡まで一直線に向かいます。

ここからは、猿島行きの船運行や、横須賀軍港巡りツアーを催行している(株)トライアングルのガイドさんの出番です。

実は3年ほど前に、第二海堡を一周し海上から見学するツアーにも参加したことがあるのですが、この時も同じトライアングルのガイドさんの話を聞きながらのツアーでした。今回も変わらずトークも軽妙で面白く、結構引き込まれます。

「今日はいい天気ですね〜、前方の猿島行きの船も一杯です。よく見ていただくと、今日は猿島、人の重さで少し沈んでるのがおわかりでしょうか!」船内で結構ウケてました。やるなあ。

様々な船が頻繁に行き交う浦賀水道を横切り、第二海堡へ。

空は晴れていましたが、風が出てきて二階席にいても船首で砕けた波しぶきがかかるほど。

「第二海堡ツアーの中でも、今日が一番視界が良いですね! ただ、風が出てきちゃいましたね」とガイドさん。

確かに、船は結構揺れて、船首に当たる波が砕けて波しぶきが2階席までかかります。さすがにたまらなくて一階のキャビン裏に退避。


ついに第二海堡に上陸!!

船は30分ほどで、第二海堡の北側の桟橋に接岸。

長年夢見ていたかつての要塞島に、記念すべき第一歩!

とやりたかったのですが、参加者が多くて余韻に浸る間もなく、一箇所に集められます。この日は42人の参加者がいたので、上陸後はA・B班の二つに分かれて移動となりました。

ガイドさんから説明を聞くためのレシーバーを各自受け取ります。軍艦島ではガイドさんから少しでも離れると、説明が聞こえづらくなったので、これはいい仕組み。

桟橋から沖を見ると消波ブロックには結構な波が立っているのがわかります。たぶんもう少し荒れると上陸中止になっていたと思われます。

桟橋付近の岸壁は「間知石(けんちいし)」が積まれています。本来は1辺が「1間」のサイズのためこう呼ばれていますが、なぜかここの間知石は大きい。関東大震災でも崩れなかったという堅牢さを誇っています。

ガイドさんからは、「見学路が整備されているわけではなく危ないので、私が歩いた後について歩いてください」との注意があり、見学スタートです。

桟橋そばにはレンガについての説明がありました。

「レンガの壁かあ」さらっと見て終わりそうでしたが、これはTOKIOの城島リーダーも驚いた「イギリス積み」で建てられた掩体壕(物資や人を隠すための壕)、その上には房州石が載せられて、さらに当時貴重だったコンクリートで固められています。

なぜここまでするのか。それは15センチカノン砲が設置されていたからだそうです。

ちなみに掩体壕の入り口のアーチは地面間際にかろうじて見えます。長い年月で土砂で埋まってしまったのです。

そしてこのレンガ、なにやら妙に黒光りしているいうか、よく知ってるレンガとはちょっと違います。

これは「焼きすぎレンガ」と言って、普通のレンガより高い温度で焼き込んだもので、吸水性が低く、劣化、衝撃に強いとか。大事な要塞を守る工夫がこんなところにも施されているのですね。

掩体壕の近くにも別の遺構である倉庫があります。壁はレンガ、天井はコンクリートで固められたもの。防水のために、アスファルトとモルタルが塗られているとか。

桟橋から続く階段のすぐ左側には「一般社団法人海上災害防止センター」の消防演習場があり、そこは撮影禁止となっています。

階段を登りきると、ソーラーパネルがずらっと並んだ光景が広がります。さっきまで崩落したレンガを見ていたのに、やけに無機質な光景のギャップにしばし呆然。

ソーラーパネルは灯台の電源確保用で、120枚余りあるのだそう。

ソーラーパネルの間を南側に抜けると、海が広がります。ガイドさんが海上を指差し、「東海汽船のジェットフォイルが近づいてきてますね」と教えてくれました。

おなじみのジェットフォイル「愛」ですね。

島内の植生についても触れていました。基本は自生しているものがほとんどですが、このウチワサボテンは持ち込まれたもので、おそらく食料代わりにすることを想定していたのだろうとのこと。

生き物については、ここが鳥の休憩地なのはもちろんですが、ショウリョウバッタが大量にいるそうです。船に乗ってきたのか、風に飛ばされてきて繁殖したんですかね。

草が茂っている中に、ところどころ往時のレンガやコンクリートの残骸が顔をのぞかせています。

ただ、やはりツアーなのでそれをじっくり眺めて往時の余韻に浸っている余裕はなかったです。散歩中の犬のようにあちこちを寄っては写真を撮りまくっていた僕は、いつも集団の最後尾でした。

島の中央部から西に顔を向けると、ソーラーパネルと灯台が見えます。


島に今も残る要塞の遺構

ソーラーパネルの林を東に抜けると「いかにも」な構造物が目を引きます。

「おおお・・・」さらにテンションが上がります。

これは防空指揮所だったと言われています。この後のガイドさんの説明で「だったと言われています」というのが結構続くのですが、これは戦後にGHQの司令で第二海堡の設備が破壊され、資料も廃棄されたからだそう。用途が分かっていないものも色々あると言います。

防空指揮所のすぐ下に27センチカノン砲が置かれていたそうですが、そういう配置はだいぶ珍しいとか。

背後に伸びる階段を登ってみたかったのですが、安全面からでしょうか、立入禁止の柵が立てられていました。残念。これも内側はレンガで外はコンクリートで固められているようでした。

ソーラーパネルの間にも、おそらくカノン砲を設置していた遺構があります。

ガイドさんにくっついて、ソーラーパネルの間を今度は西側に抜けると、灯台のそばに出ます。この灯台のそばにもカノン砲が並んでいたと思われる遺構があります。

ガイドさんが当時のカノン砲がどう設置されていたかの図を見せてくれました。今は、コンクリートの台座だけが残されていました。

この石桶のような構造物は「なんのためのものか分かってない」とのこと。終戦後に資料が廃棄されたため、具体的なことがわからない部分も多いのだとか。

これも砲台の台座部分。

この辺りにも、カノン砲が4門並んでいたそうです。

高さ12mある第二海堡灯台。初点灯は明治27年9月。現在のものは、先日の台風で波にさらわれて有名になった奄美大島の灯台と同じく、FRP製。

こうやって見ると、確かに要塞に見えますね。まさに東京湾の要、首都防衛の先駆け、と言った風情でしょうか。

地下にも構造物があるとのことですが、崩落が激しく危険なため、調査は進んでいないそうです。

この朽ちかけた柱もよくわからない、とのこと。

崩れたかつての岸壁が引き上げられていました。


レンガの紋から歴史を感じる

僕の属するB班は、やがて島の西の端の開けたところにやってきました。

ここは島の西翼、かつて15センチカノン砲と、探照灯が置かれていた場所だそうです。ちなみに崩落の危険があるのか、ロープで仕切られていて、奥まで行くことはできませんでした。

第二海堡に転がっているレンガには、桜の刻印が入っているものがあります。これは、小菅集治監(現在の東京拘置所の前身)で作られたものである印です。

つまり、明治10年に起こった西南戦争に破れた薩摩武士たちが、収容された先の小菅集治監で作ったものである、ということ。レンガひとつに歴史の重みを感じられるとは思ってもいませんでした。

しかし結構無造作に転がっていましたね。

今までのトライアルツアーでは、このレンガを一人で三つ見つけた人が、今のところトップスコアだそうです。


第二海堡の随一の撮影スポット

西の端から少し戻り、南側に下る道の手前に「国有地につき立ち入り禁止」という看板があります。

よく観光地にある看板、とはいきませんが、ある意味「第二海堡に行ってきた!」を示すには大変ちょうどいいモノです。ガイドさんも「ここは人気撮影スポットですよ!」と言ってましたし。

みんなこぞって撮影してました。もちろん、僕も撮りましたよ、ええ。

そこから砂利道を南東方向へ下ると、「要塞」だった頃の風景が目の前に現れました。

誰が書いたのか今ではもうわからない「FORT NO.2」の文字。つまり「第二海堡」を表すこの文字は、現在護岸のために作られた岸壁があるため、海上からは見られないそうです。

つまり、ここは一番「らしい」景色なのに上陸しないと見られないという、第二海堡きっての撮影スポットなのでした。

このぐるりと丸いコンクリートの構造物の上には、かつてカノン砲が鎮座して、守りに目を光らせていたというわけです。

この前のスペースはわりとがらんとしていて殺風景。

みな、思い思いに写真を撮り、やがて島を離れる時間が近づいてきたので、この場を後にするのでした。僕は、もちろん最後尾。

正直、1時間程度では時間が全然足りませんでした。もっとじっくり見ていたかったし、触って感触を確かめたかった。でもツアーだから仕方ありません。

普通は上陸できないところに来られたということだけでも、感謝すべきですね!

船はやがて第二海堡を離れ、三笠桟橋に戻ります。


はとバスツアーは続く

三笠桟橋に戻った後はすぐにバスに乗り込み、観音崎京急ホテルへ移動。ちょっと遅いお昼になりました。

海が見えるホテル内のレストランでビュッフェランチ。品数も充実していて僕は結構満足でした。デザートもたっぷり食べられましたし!

ランチ後は、再度三笠桟橋に戻り、「記念艦三笠」を見学。横須賀にも、この三笠のそばにも何度か来たことあるのに、「記念艦三笠」に寄るのは初めて。

しかしここはここで見るところたくさんあるのにやっぱり40分じゃ足りなかった!!

今度はゆっくり来よう、そう思っていたら戻る時間を間違えて、最後まで本当に最後尾でした。

このツアー、東京湾と首都防衛の歴史を考える上で色々刺激になることは間違いないですね。次は、お隣の第一海堡に上陸できないかなあ・・・。

それはそうと、この第二海堡上陸ツアー、2019年から本格運用されるとのことなので、興味あるかたはぜひ!!(第二海堡ツアー・了)

■島に関する執筆・取材・講演・写真貸出のご依頼は下記までお問い合わせください。
 izuyan@islandtrip.jp
 僕のプロフィール・実績等はこちら
※このサイトに掲載している文章、写真はすべて無断転載禁止です。
他媒体への掲載をご希望の場合は、ページ下のフォームからご連絡ください。
シェアしてくれるとうれしいです!
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINE

第二海堡旅(2018年10月)の関連記事

ISLAND TRIPの本、あります

ISLAND TRIPの本

コメントする

PAGETOP