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「忽那諸島」旅 その8(中島) 忽那諸島主島・中島へ渡り、よろいや旅館に泊まる

人のいない時期の旅もまた普段と違った様子が見られて楽しいものです。どうも、いづやん(@izuyan)です。

忽那諸島旅の第八回、三つ目の島、中島に移ってのお話です。


忽那諸島最大の島、中島へ

野忽那港発17時のフェリーに乗り、日が暮れつつある瀬戸内の海を渡ります。夕暮れの中の島影もまた美しいものです。

10分ほどすると、忽那諸島旅三つ目の島にして最大の島、中島に到着です。

港にはフェリー待ち用の桟橋がしっかり整備されていたり、待合所も大きく、さすが忽那諸島の主島、といったところです。

この後数日旅は続くわけですが、忽那諸島の他の島では中島のことを「本島(ほんとう)」と呼ぶ人もいて、なるほど忽那諸島の中心地なのだなと感じ入る瞬間もありました。

実際、昔の忽那諸島の各島はそれぞれの自治体を維持していましたが、1963年(昭和38年)に「中島町」として忽那諸島全体で一つの自治体となり、2005年(平成17年)に松山市に編入されるまではここ中島に役所が置かれていたのです。

港のターミナルの建物もしっかりしていて、バスも運行しています。忽那諸島の島々でバスが運行しているのは確かこの中島だけのはず。


島唯一の旅館「よろいや旅館」さんへ

旅の第一日目はここで投宿の予定なので、港から歩いて宿まで向かいます。

睦月島、野忽那島と違って背の高い建物があちこちにあり都会にも感じられる中歩いていると、それでも柑橘の島らしく道端の木々には伊予柑が鈴なりになっているのが見てとれます。

15分ほど歩いてたどり着いたのは、「よろいや旅館」さん。(写真は翌朝撮ったもの)

源平合戦の時に壇ノ浦に逃げる平家を追って中島にたどり着いた源義経が、着ていた鎧を脱いで松に掛けたという「鎧掛松」の伝説にちなんだ旅館名です。

元の松は枯死したそうですが、その松から取った種で二世、三世が島内で健在です。

旅館には立派な鎧兜が飾ってあり、島唯一の「旅館」としての風格を感じられます。(ほかの宿泊施設は民宿やペンション)

部屋に通されるといかにもな旅館の一室です。座卓にはお茶が用意されていましたが、当然のようにお茶請けはミカンです。外が寒くなってきてやや体が冷えてきていましたが、エアコンがすでに点けてあり室内が暖かったのはありがたかった。

すぐにお風呂で体を温め、旅館の入り口脇の食事処で夕飯にありつきます。

小さな鍋物や、地場で捕れたであろうタイやタコの料理は確かにうまかったです。

野忽那島では港に積まれたタコ壺の山を見ましたし、愛媛のタイは「宇和島の鯛めし」などで有名ですよね。

タイは甘辛く煮付けられていて、愛媛ではこうなのだろうかと考えつつも箸が進みました。煮物ってその土地の個性が出ますよね。

夕飯を食べているお客は僕の他に、スーツを着た明らかに出張と思われる男性が一人のみ。それはそれで気楽です。

師走の忙しい週末に、旅で島を訪れる人もほとんどいない、ということでしょう。(続く)

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