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「五島列島」旅 その25(野崎島) 無人の島に残る廃村 野崎集落跡と墓地跡を見て盛時を想う

桜が散って春本番かと思ったらまた寒い日があって驚いています。ダウンジャケットクリーニングに出しちゃっいました。どうも、いづやん(@izuyan)です。

五島列島旅の第二十五回ですね。旅も6日目、大詰めです。そしてこの8日間の旅のハイライトに臨もうとしています。


世界遺産候補(からは一時的に外れたけど)の教会を有する無人島「野崎島」へ

6日目の朝の天気は曇り。暑くもなく寒くもないです。4時過ぎに「フェリー太古」の汽笛が聞こえたのを覚えています。5時半頃起床し、6時半頃に朝食を済ませ、7時25分発の町営船「はまゆう」に乗るために準備をして港に向かいます。

今日は小値賀島の東隣にある無人島「野崎島(のざきじま)」に渡ります。そこに、僕がこの旅で一番見たかったものがあるのです。

「はまゆう」乗り場は、昨日小値賀島に着いたフェリー乗り場より少し町寄りのところにあります。小さな待合所が目印です。

中に入ると同じように野崎島に渡る人たちがいました。「おぢかアイランドツーリズム」のガイドとおぼしき人もいます。

「はまゆう」が港に到着すると、制服姿の中学生が降りてきました。この船が寄港する大島からの通学生でしょうか。その後に野崎島に渡る一行が乗ります。乗船券は出港後に船内で買います。500円でした。

小値賀島の周りには、町営船で行くことのできる島がいくつかあります。この「はまゆう」は、六島(むしま)、野崎島、大島を順に巡ります。もうひとつ、島の北に納島(のうしま)という島があり、そこだけは柳という港から別の船で行きます。

船が港を出て20分もしないうちに、お隣の六島の到着します。エンジンを停めることもロープでもやうこともせず、桟橋にすっと近づいて一人だけ降りて行きました。ここ六島は現在住人が三人だけだそうです。

船内のガイドさんのお話では、「六島は時間厳守の島」として有名なのだとか。昔船の時間に遅れた人がいたため出航時間が遅くなり、そのため潮の流れが変わって転覆したということがあり、以来「時間厳守」が言われているのだそう。ここにも一度来てみたいものです。

「はまゆう」は六島を経由して、野崎島の北を回り、東側の野崎港へ。途中、野崎島の北の山中に「沖ノ神島神社」とその背後に佇む謎の巨石「王位石(おえいし)」が小さく見えました。遠目から見てもその威容と巨大さがわかります。自然にそうなっているのか、誰かが建てたのかさえわかってないそうです。ものすごくロマンをかき立てられますね。

下の写真だと、中央より少し上、平たい薄い緑の屋根が「沖ノ神島神社」、その少し左上に見えるのが「王位石」です。

「沖ノ神島神社」と「王位石」は、船が着く野崎港からは山の中を3時間ほど踏破する必要があり、途中道に迷うこともあるそうなので、おぢかアイランドツーリズムのガイドをお願いすべきでしょう。今回は時間がなさそうなので断念。


野崎集落跡に残る廃屋たち

野崎港に降り立ってからガイドさんに諸注意を受けて、各々島内を散策しはじめます。15時10分に帰りの便が到着するのでそれまでは自由です。ガイドを頼んだのはカップルとおぼしき男女二人だけで、あとの7、8人は思い思いに散って行きました。

港に立った時から気になっていた廃屋を見やりながら、他の人がいなくなるのを待ち、散策を開始。

港周辺は、かつての野崎集落が広がっており、村の名残を見ることができます。

崩れかけた石垣とそこを縫うように小さな路が通っています。

残された家屋も、基礎だけ残して崩れ去ったもの、柱だけが辛うじて残り、なんとか天井を支えているもの、まだ住めそうな体裁を残しているもの、様々です。

屋根と柱はすっかりなくなり、洗面台を残すのみになった家がありました。

これは釜か、それとも五右衛門風呂でしょうか。

すぐ背後に神社がくっついている家屋もありましたが、後で聞いたらこれは「沖ノ神島神社」の神主さん一家の建物だそう。そばにはおそらく仏像っぽい風雨に侵食された石像もありました。

神仏の像であっただろうものの名残もあります。

錆びたビジネスデスクは、この集落が賑わっていたことがそう遠くない時代だったことを物語っていました。

窓の向こうは、誰かが暮らしていた時と同じ眺めだったのでしょうか。

港のすぐそばにあった神社も、屋根を支えきれなくなったのかぺしゃんこになっていました。

廃屋は崩落の危険があるため、むやみに入らないように、という注意を最初にガイドさんから受けます。建物の中には入らずにできるだけ外から撮ることにしました。


サバンナとキュウシュウジカ

廃村となった野崎集落跡を抜けると、戸が閉められた柵が見えてきます。これは島に人がいなくなった後に増えた野生のキュウシュウジカを島の西側にできるだけ入れないようにするためのものだそうです。

確かに島の斜面を見ると、赤土が露出しているところも散見されます。僕はこれと同じような光景を、十数年前の小笠原で見ています。もっとも小笠原はシカではなくヤギでしたが。どちらにせよ草や灌木を食べてしまい表土をむき出しにしてしまうシカは、ここでもやや厄介者として扱われているようです。

柵を抜けると、低木と草原、その向こうに海が見えるサバンナのような場所に出ました。島の東に突き出た半島の北側です。すぐにキュウシュウジカの群れが草を食んでいるのが見えましたが、向こうもこちらに気がついてじっと見つめてきます。こちらが動くと一斉に走り出しました。さすがに人馴れはしていないようですね。


積まれた墓石たち

シカをしばらく観察してから辺りを見回すと、南の海岸沿いに何やら石が積まれている場所が見えました。

近づいてみると、それは墓地「跡」でした。国土地理院の地図をiPhoneにダウンロードしていたので、その場で確認すると、確かに小さく墓地のマークが刻まれています。

多くの墓石は倒れ、無造作に積まれてすらいます。島のかつての住人たちが島を離れる時に仏さんたちを他所に移したのでしょう。なのでここは、墓地「跡」なのです。

集団離島が20数年前として、その時に掘り返されたにしては結構な荒れ具合です。木造の家屋であろうが石の墓であろうが、人の手をかけないとあっという間に荒れていくものなのでしょう。積まれた石はそもそも墓石であったことすら判別しがたいものもあります。

それでもいくつかは真新しいものがあったり、島出身と思われる出征で亡くなった方の立派な墓が海を背に佇んでいました。確認できた限りでは、その多くが仏教式のお墓だと思われます。

野崎島には先程の野崎集落の他に、これから足を伸ばす島中央部の野首集落と、南の舟森集落の三つがあったそうです。そのうち、隠れキリシタンが住み着いたのが、野首集落と舟森集落です。この墓地跡は仏教式の墓ばかりなので、古くから島に住み着いていた野崎集落の人たちのものだったのでしょう。よくよく見るとキリスト教系の墓もあるにはありましたが、見た目は仏教式の墓石と変わらないようになっていました。

すでに住む人のなくなった廃村と、放棄された墓地。ほんの20、30年前まで生活のあった場所ですが、その当時の様子を想像して少しだけ感傷的になったりもしました。

一見人がいなくても人の住んだ匂いのある景色が好きだと、以前ブログで書いたことがありますが、やはり荒涼とした景色を見るのは必ず幾ばくかの寂しさを覚えるものです。打ち捨てられる前の光景も、この目で見てみたかったと思わずにはいられません。(続きます)

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