「軍艦島」旅 その15 軍艦島で実際に生活していたガイドさんの話が面白い
夏といえば、台風の季節。島に行くにも台風の動向が気になります。過去何度も大変な目に遭わされていますしね・・・。どうも、いづやん(@izuyan)です。さて、軍艦島旅も15回目、今回で最終回です。
まずは島の周りを回ります
「軍艦島コンシェルジュ」さんのツアーも、軍艦島到着後、まずは島の周りを回ります。その時は満席でも上部デッキに上がってよいとのことで、いそいそと階段を上ります。
昨日のツアーと違うのは、船の左右どちらの席からも見られるように、船を何度も旋回させてくれたことです。僕が乗船した三つのツアーの中では、島の西側を回るときの距離が一番近くしかも結構じっくり見させてくれました。これはポイント高い。解説も詳細でした。
倒壊した映画館も昨日より仔細に見られました。
実際の経験にもとづいた詳細な軍艦島ガイド
島に上陸後は、第一見学場から順に解説が始まります。実際に炭鉱で働いたことのあるガイドの木場田さんが、実際の経験にもとづいて解説。その仔細な様子が生々しく面白いです。
600メートルの縦坑を降りるエレベータに初めて乗ったときは、すさまじいスピード、真っ暗闇、轟音、でほぼパニック状態になって底に着いた時は少し失禁していた話。
昭和32年頃に海底水道が敷設されるまでは、ゴミも下水も垂れ流しで周辺の海域はかなり汚染されていたそう。
坑道内で催したときは、ヘッドランプを消し穴を掘って「いたす」が、その穴は「ほんの気持ち」程度なので、坑道にはあちこちに「小山」ができていた。それらの小山は石炭と一緒に地上に運ばれ、不要な石炭と一緒に海に捨てられていたんだそう。
そうやって捨てられたものにつられて周辺の海域では魚が集まって、しかも丸々と太っていた。ただし、軍艦島の住人はそれを知っていたので獲ることはせず、事情を知らない島外の漁師は喜んで獲っていたのだとか・・・。水道が通ったら下水も整備されて周辺の海も綺麗になり、子どもたちも飛び込んで遊べるほどに。
水道がなかったときは下水処理もなく、したがってトイレも配管は海と直結。台風の時は気をつけないと、その配管を伝って海水がトイレから吹き出すことがあるそうで、ガイドさんも一度ひどい目に遭ったことがあるそう。用を足していたらすごい勢いで水が吹き出す・・・恐ろしすぎます・・・(笑)
また、人口密度が高く、ひと目に触れずにデートをする場所などないので、堤防の上でゴザをかぶって、ということをみんなよくしていたそう。しかし建物の上からは丸見えなので、悪ガキによく「おー、逢引しちょっとー」と冷やかされたとか、ちょっと笑えます。
郵便局には島唯一の公衆電話があり、夜8時を過ぎると割引になるのでみんなかけにいきます。「愛の言葉をささやこうものなら後ろの列から一斉に野次が飛んで、そんなことはできなかったんです」とのこと。本当に人と人との距離が近かったんですね。
ガイドさんは第三見学場のところから見えるアパートの4階で生活していたそうで、最初の一年は新人は押入れで寝ろと言われたとか、実際の生活の話がこれでもかと出ます。もっと話を聞いていたかったですね。
配慮の行き届いた、ちょっと商売気のあるツアー
ものすごく楽しいガイドさんのお話を聞き、満足して船に戻ったら、凍ったおしぼり渡されました。この日も暑かったのでこれはとても嬉しいサービス。ありがたい!と思っていたら間髪入れず「カステラアイス」300円の船内販売も始まってました。見ているとこれが売れる売れる。商売上手です(笑)
船室のモニターでは、軍艦島で撮影された色々なPVが流れたりしてました。サービス向上のためのアンケートもしっかり書かされました。
船が長崎港に入り、予定していた説明が終わると、ガイドさんは全ての船室回って挨拶していました。みんな満足したのか、拍手も起こっていましたね。
ガイドの木場田さん。実際に軍艦島で生活してた体験をユーモア溢れる口調で語ってくださいました。
どのツアーもそれぞれ違いがあって面白い
さて、長々と続けてきた軍艦島旅レポートはこれで終わりです。
三日間、三つのツアーに参加して思ったのは、ツアーそれぞれに特色があって面白いということと、魅力的なガイドがいるかどうかがツアーの満足度に直結しているということ。解説がうまいと、ただの廃墟の街に当時の生活が重なって見えるようになります。
お客さんを盛り上げるのが上手い軍艦島コンシェルジュさんのツアーは、拍手もよく起きていたし、笑い声も多かったですね。お客さんの満足度も高かったのではないでしょうか。
軍艦島は以前から憧れて数多くの写真を見たり映像を見てきました。でも実際に足を運ぶことに勝るものはない、と改めて実感しましたね。(軍艦島旅・了)
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